俺の住んでいた街は無法地帯だったので、俺は中学の入学式にポケバイで登校した。
頭をブリーチで金髪にして中ランにドカン、靴はもちろんエナメルの鋲打である。
アクセルをふかして踵を地面に擦り付けると、靴底から火花が飛ぶ。
メットは被らなくても違法ではなかったから、咥えタバコでもちろんノーヘル。
この時点でバカな13歳である。
免許も持っていなければ、ポケバイで公道を走ることさえ違法だということにベクトルは向いていない。
タバコも同様。。。
まぁ、これは入学式で同級生のみなさんを威嚇して1年坊でテッペン獲るためだけだったので、そのあとは別の手段で登校していましたが・・・。
そして普通に16で中免手に入れてスクーターやトライアル、そしてわらしべ長者のようにバイクを乗り換えていきます。
最初はTY50、そしてパセッタ・・・中型はホークから始まり、RZ250、FX400、CB400Fと乗り継いで参ります。
これは俺の仕切っていたモーターサイクルグループ(決して暴走族ではありませんっ)が3,000人ほどの規模だったため、事故や闘争、上納やプレゼントなどで車種が変わっただけです。
決して金持ちのボンボンではありません。
で引退してからは静かに走りたいとGB250を購入、まぁ音的には単気筒なんで全然静かじゃないんですけど。。。
ほとんどの改造はブライアン・カーチスの加千須ユージンくんに任せていた。
なんせ俺、バイクいじれないんで・・・。
ミッキー・カーチスさん主催のボーリング大会で獲得したホワイトメーターやキャプトンなんかをあーでもないこーでもないとやっていたのは遠い日の思い出である。
ピレリーに履き換えた時にユージンがリムに傷をつけて叱ったのは、今となっては良い思い出。
でも、いい単車屋だったんですよ。。。
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